手段は、いくらでも変えられる

何のためにやるのか、を考え始めた頃の話

生徒さんがトレードで行き詰まったとき、私は時々、こう話します。

「そもそも、これは何のためにやっているんでしたっけ。その原点を思い出して、必要なことを着実にやっていきましょう」と。

なぜ、FXをやるのか。その必要性は何なのか。手法を探すのも、勉強量を増やすのも、あくまで手段です。

その手段が目的に対して適切なのか、目的を達成する上でどれだけ的確なのか。そして、その人の生活スタイルや性格に合っているのか。目的が曖昧なままでは、この切り分けができません。

仕事を選ぶときも同じです。マネタイズはもちろん大事ですが、自分が気持ちの面で楽しい、ワクワクすると思えるかどうかも、同じくらい大事です。私は目的を明確にした上で、それを判断基準にしています。

この「何のためにやるのか」を、自分に向けて問い始めた時期があります。


最初の商売だった車の輸出で、代金を受け取れなかったときのことです。

車はもう届いているはずで、連絡も取れるのに、なかなか支払ってくれない。最終的には、連絡も取れなくなりました。信用していた相手でしたが、「やっぱりだめだったか」とがっかりしました。

ただ、落胆していても仕方がありません。すぐに何かをやらなければという焦りのほうが大きく、割とすぐに気持ちを切り替えられたと思います。

当時、私はすでに結婚していて、妻のお腹には娘がいました。

「こんなんじゃ、やばいな」
「これはまずい」

そう思って、すぐに路線を切り替え、中古家電のせどりを始めました。忙しい毎日でしたが、充実していました。

妻には、代金を受け取れなかったことは特に伝えませんでした。ただ、車の仕事がうまくいかなくなったことや、せどりに切り替えることは、その都度話していました。妻に不安になってほしくなかったので、私自身の「やらなきゃ」という気持ちを、そのまま伝えました。実際、不安というより、その気持ちしかありませんでした。


結婚したのは2015年の1月15日です。当時は37〜38歳でした。

私はそれまでずっと、フラフラした人生を送っていました。結婚を決めたのは、私というより、計画的だった妻の方です。最終的には、私の方からしっかりプロポーズしましたが。笑

親は、「まさか結婚できるとは、まさか孫の顔が見られるとは」と、半ば諦めていたようなところがありました。

娘が生まれたのは、翌年の同じ1月15日でした。結婚記念日と同じ日です。この重なりが、娘の誕生を、私にとってさらに特別なものにしてくれました。

出産には、私たちが住んでいた埼玉の病院で立ち会いました。生まれるまでの十月十日、私は、妻の体調の変化を毎日見守ることしかできませんでした。「男というのは、本当に無力だな」と感じていました。

出産の前日、「そろそろかもしれない」ということで病院へ行き、そのまま出産の準備に入りました。出産自体は3時間ほどだったと思います。私は、「頑張れ、頑張れ」と言うことしかできませんでした。

妻が命をかけて産んでくれた娘が出てきたときの、驚きと、喜び。

記事に添えられた写真

初めて娘を見たときの可愛さ、美しさ、そして生命の美しさに、本当に感動しました。


両親は、その日のうちに病院に来てくれました。直接抱っこはできませんでしたが、生まれたばかりの娘がいる部屋を見ながら、「可愛いね、可愛いね」と喜んでくれました。

数日後、病院の部屋で、両親は初めて娘と面会しました。本当に嬉しそうな二人の顔を見たとき、私も感動しました。

娘が生まれたことは、ある意味、私の力ではありません。それでも、「初めて親孝行ができたのかな」と思えました。

そして、ふと気づきました。
私が生まれたときも、同じように喜んでくれていたんだな、と。

自分が親になって初めて気づけた、親の姿でした。改めて親に感謝しました。

妻には、本当に頭が上がりません。感謝しかありません。


そうして日々を回していく中で、だんだん、こう思うようになりました。

「休めない」

せどりは、のちに私が失うことになる、大切な仲間と二人で回していました。二人分を稼がなければというプレッシャーもありました。仕入れて、出品して、というサイクルの中に、ずっといなければならない。「休めない」という実感が、一番大きかったと思います。

あるとき、その仲間と飲みながら、この先のことを話していました。人を雇って、事業を大きくしていくしかない。そうしなければ、私たちは、この1日も休めない状況から抜け出せない。

ただ、それはそのまま、中古家電のリサイクルショップのようになる、ということでもありました。

それは、特に望んでいた未来ではありませんでした。

「やはり何か、考えなければいけない」という思いが頭をよぎったのを覚えています。「これは、本当に自分がやりたいことなのだろうか」という疑問もありました。


その頃、メルマガを書いて、自分の技術を販売するという方法を知りました。かなり規模の大きいグループに入り、教材を買ってもらったり、コンサルのようなことをしたりするようになりました。

自分が発信した内容を読んでもらい、それが仕事につながる。その驚きと、喜び。これから販売して、サポートしていくという責任感。毎日がワクワク、ドキドキの連続でした。

メルマガを書いていた頃から、飽きずに楽しく続けられる感覚はありました。

振り返ると、「書くこと」はずっと続いていました。バンコク時代にはブログを書き、せどり時代にはメルマガを書き、トレーダーになってからは、トレードのアウトプットを続けてきました。

そして、指導をするようになってから、ブログなどをもう一度始めて記事を書いていたとき、ふと、全部がつながりました。

「自分は、書くことが本当は好きだったんだな」と気づいたのです。5年ほど前だったと記憶しています。

今は、完全に好きだと言えます。


あのとき、「何のためにやるのか」に、はっきり答えられてはいなかったと思います。

ただ、人を雇って事業を大きくする以外の道が見えず、しかもそれを望んでいない自分に気づきました。その違和感が、目的と手段を分けて考える、今の見方の出発点の一つだったような気がします。

手段は、いくらでも変えられます。

ただ、「何のためにやるのか」だけは、自分に問い続けるしかありません。

あの頃の私は、そのことに気づき始めたところだったのだと思います。

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