個別指導に、唯一の正解はあるのか

56個別指導

ある出来事を通して、教える責任と学ぶ主体性を改めて考えた

手厚く関わるほど、良い指導になるのか。
厳しい指摘を避けることが、本当の優しさなのか。
教えた内容が十分に伝わらなかったとき、それは教え方の問題なのか、手法の問題なのか。それとも、学ぶ側の取り組み方まで含めて考える必要があるのか。

FXの個別指導を始めてから約5年、私はこうした問いに何度も向き合ってきました。

最近、過去の受講関係をめぐり、私と56スパルタンFXについて、SNS上で継続的な言及が行われています。

その期間は約10ヶ月に及び、過去の私とのやり取りについて、その一部だけを切り取った形で公開されることもありました。

前後の文脈を知らない方がその内容だけを見た場合、私の人柄や指導全体について、相手方が述べている内容に近い印象を持つ可能性もあると感じています。

最初は私のポストをリポストすることで、おびき寄せるような形で見せられました。SNS上での言及を知った後、私は一度、当事者間で直接話し合う機会を持ちました。

相手方の話を聞き、私自身の言葉や対応について反省すべき点を伝えました。そのうえで、私が認識していた経緯も説明し、必要だと考えた対応を行いました。

しかし、その話し合いの直後からも、私に対する言及は続きました。

私が伝えた思いや説明が相手方に届いたのか、十分に伝わらなかったのか、それとも、最初から話し合いなどするつもりがなかったのか、私にはわかりません。

ただ、話し合いをする以前と変わらない形で言及が続く状況を見て、これ以上直接やり取りを重ねても、双方の認識を近づけることは難しいのだと、私は判断しました。

正直に言えば、この件について相手方の発信を確認し、必要なものは記録に残し、直接やり取りを続けることには、心身ともに疲れを感じています。

私には家族との生活、現在学んでくださっている方々への指導、そしてこれからの運営など、時間と意識を向けるべきことが多々あります。

そのため、当初はこれ以上反応せず、自分の仕事へ戻るつもりでいました。

しかし先日、現在の受講者の方から、SNS上での私に対する言及を目にし、心配しているという声をいただきました。

私個人に対する評価だけであれば、あえて説明しないという選択もあったと思います。

ただ、現在学んでくださっている方々にまで不安や心配が広がっているのであれば、私の側で確認している事実と認識、そして今回の件を受けて考えたことを、一度自分の言葉で残す必要があると判断しました。

この記事は、特定の個人を非難し、私だけが正しかったと主張するためのものではありません。

相手方を特定できる情報や、当事者間のメッセージ、画像、音声などを公開するつもりもありません。

今回の出来事について、私が確認している事実と認識を必要な範囲で残す。

そのうえで、指導者として何を反省し、何を変え、何をこれからも大切にしていくのかを書く。

ただ事実関係を説明するだけで終わらせず、この経験を自分の仕事へ返すために、この記事を残します。

良かれと思った関わりが、常に正解とは限らない

FXの個別指導において、どのような関わり方がすべての人に適しているのか。

正直に言えば、私にも絶対的な答えがあるわけではありません。

知識や経験、生活環境、理解する速度、トレードに使える時間、指摘の受け止め方は、一人ひとり異なります。

同じ言葉を伝えても、必要な指摘として受け止め、改善につなげる方もいれば、強い言葉や負担として受け取る方もいます。

頻繁な連絡についても、手厚いサポートとして受け取る方がいる一方で、過度な働きかけだと感じる方もいるでしょう。

私自身、指導を始めた頃は、来てくださった方に何としても成長してほしいという思いと責任感が強く、こちらから状況を確認し、継続的に声をかけることも多くありました。

相手の状態を把握し、必要な修正を行いたいと考えていたからです。

しかし、指導者側に「相手のため」という思いがあったとしても、それだけですべての伝え方や関わり方が適切だったことにはなりません。

今回の受講関係においても、指導に真剣に向き合う中で、結果として言葉が強く伝わってしまった場面がありました。

伝える必要があると考えた内容であっても、その伝え方やタイミングが適切だったかどうかは、別に振り返る必要があります。

言葉の選び方、伝えるタイミング、相手の状態への配慮について、私に改善すべき部分があったことは真摯に受け止めています。

認めるべきことは認め、改めるべきことは改める。

それが、指導に携わる者として、私が引き受けるべき責任だと考えています。

教え方の問題と、手法の問題は分けて考える

相手に内容が十分に伝わらなかった原因が、私の説明や教え方にあるのであれば、その点は改善しなければなりません。

自分が理解していることと、それを相手が理解できる形で伝えられることは同じではありません。

説明する順序。
言葉の選び方。
一度に取り組む課題の量。
その時点で何を優先するのか。

理解しづらい状態が続いているなら、これらを見直すことは教える側の仕事です。

一方で、教え方に改善すべき点があることと、教えている手法そのものが成立しているかどうかは、分けて考える必要があります。

私の手法は、一つのサインや一つの根拠だけで相場を判断するものではありません。

上位足の相場環境、トレンド、現在の波の位置、意識される価格帯、複数時間軸の関係、チャートの構造、エントリーのタイミング。

役割の異なる複数の根拠をつなぎ、一つのシナリオとして判断します。

広い意味では、トレンドフォローを基本としています。

まず日足の相場環境を軸に、その週にどちらの方向を中心に考えるのかを整理する。

そのうえで、主に4時間足や1時間足を使い、現在の動きが日足に対してどのような意味を持つのかを確認し、具体的な戦略へ落とし込む。

判断の流れは、できる限りシンプルにする必要があります。

ただし、それは一つの条件だけで機械的に売買するという意味ではありません。

私が複数の根拠を重ねる理由は、必ず勝てる場所を見つけるためではありません。

一つの根拠だけに依存せず、判断の偏りを減らす。
損失になる可能性を受け入れたうえで、筋の通った取引を行う。
負けたときにも、何が想定と異なったのかを確認し、元の判断基準へ戻れる状態をつくる。

そのための方法です。

「使える・使えない」だけでは判断しない

私は、自分の手法だけが優れていて、ほかの方法は使えないと主張するつもりはありません。

移動平均線、ダウ理論、トレンドライン、フィボナッチなどについても、「使える」「使えない」という二つの言葉だけで断定することには、あまり意味がないと考えています。

同じテクニカルでも、何を見るために使うのか、どの相場環境で使うのか、ほかの根拠とどのように組み合わせるのか、どの条件では使わないのかによって、その役割は変わります。

また、それを判断する人が、どこまで理解し、どれだけ検証と実践を重ねたかによっても、評価は変わります。

十分に理解していない段階で「使えない」と結論づけることも、一時的に結果が出たことだけを理由に「絶対に使える」と判断することも、どちらも慎重であるべきです。

ただし、実際の相場では、いつまでも考え続けられるわけではありません。

資金が増減する緊張感の中で、限られた時間と生活環境の中で判断を下します。

そのため、実際に使う判断の流れは、できる限り整理されている方がよい。

ここでいうシンプルとは、複数の根拠を捨てることではありません。

根拠をばらばらに覚えるのではなく、それぞれの役割を整理し、一連の判断手順として使える状態にするという意味です。

私の手法も、初めから完成していたわけではありません。

一つひとつの考え方を学ぶ。
相場の何を示しているのかを考える。
異なる根拠をつなげる。
実際の相場で試す。
うまくいかなければ、記録を見て修正する。

その試行錯誤を年単位で繰り返す中で、現在の形になりました。

私が長い年月をかけたからといって、学ぶ方が同じ遠回りをする必要はありません。

私が経験した失敗と試行錯誤を整理し、判断の順序と根拠の役割を体系立てて伝える。

学ぶ方が、一からすべてを手探りする時間を減らす。

それが、指導者である私の仕事です。

指導者と受講者には、それぞれの役割がある

指導者には、伝える内容を整理し、理解できる形で説明し、必要な修正を提示する責任があります。

課題の目的を示す。
判断基準を共有する。
提出された内容からズレを見つける。
次に取り組むことを整理する。
質問に対して曖昧にせず答える。
理解しづらい状態が続いているなら、伝え方や順序を見直す。

これは、教える側が引き受ける仕事です。

同時に、実際の相場で判断し、行動するのは本人です。

伝えられた内容を確認する。
決めた条件に沿って実践する。
判断と結果を記録する。
条件から外れたところを振り返る。
確認したズレを、次の似た場面で修正する。

この過程は、本人にしか行えません。

これは、結果が出なかった責任を、すべて受講者へ預けるという意味ではありません。

反対に、結果が出なかった原因のすべてを、指導者だけが背負うという意味でもありません。

教える側にも、学ぶ側にも、それぞれの役割があります。

どちらか一方を悪者にしても、本人が自分で判断できる状態には近づきません。

私が目指しているのは、私の指示がなければ動けない状態をつくることではありません。

自分で相場を見る。
自分で根拠を整理する。
自分で判断する。
負けたときには原因を振り返る。
崩れたとしても、元の基準へ戻る。
勝つことだけを追うのではなく、致命傷を避け、何度でも戻れる状態をつくる。

それが、私が指導において大切にしていることです。

今回の件について、私が確認している経緯

今回の受講関係において、私は、教材や動画の提供、個別指導、添削、提出されたチャートや報告への回答、文章によるフィードバック、通話、週次・月次の振り返りなどを行いました。

保存している記録には、実際のトレード内容を確認し、判断のズレを伝え、次に取り組む内容を絞り、その後の報告を見ながら修正を重ねてきた経過が残っています。

相手方が継続的に添削を提出し、改善に取り組んでいたことも認識していました。

私の伝えた意図と、相手方の受け止め方が一致しない場面はありましたが、提出を続けていたこと自体は、真摯に取り組んでいた点として受け止めています。

一方、それ以前のやり取りの中には、今後も改善に至らない場合には、自ら受講関係を離れるという趣旨であると、当時の私が受け取った発言がありました。

その後、一定期間にわたり、連絡や添削の提出が途絶えました。

それまでに伝えられていた内容、その後の連絡状況、受講期間中のやり取りを総合し、当時の私は、受講関係が終了したものと認識しました。

その認識に基づき、一定期間が経過した後、専用コミュニティへのアクセスを終了しました。

私がアクセスを終了したことは事実です。

その後、この点について、私と相手方との認識が一致していなかったことを把握しました。

現在、私が確認できるのは、実際に行ってきた指導や対応の記録、受講関係の終了に至った当時の経緯、そして双方の認識に違いがあったということです。

なお、私は、相手が女性であることを理由に指導基準を変えたり、特に厳しい対応をしたという認識はありません。

一方で、性別にかかわらず、伝える内容が必要だったと私が考えたことと、その伝え方が適切だったかどうかは、分けて振り返る必要があると考えています。

私が認めることと、認めていないこと

相手方が不満や不快感を抱いたことは、事実として受け止めています。

私の言葉や対応に改善すべき部分があったことも認めています。

相手方が述べていることのすべてが、最初から最後まで根拠のないものだと主張するつもりもありません。

一方で、SNS上で述べられているすべての内容、事実認識、私や56スパルタンFXへの評価を、私が事実として認めているわけではありません。

人がどのように感じたかということと、実際にどのような教材、指導、添削、説明、対応が行われたかということは、分けて考える必要があります。

私が改善すべきだったこと。
私が実際に提供し、向き合い、対応してきたこと。

どちらか一方だけが存在するのではありません。

その両方が、私が確認している経過です。

この記事は、私の側から見た出来事と認識を記したものであり、当事者双方の見解を併記したものではありません。

同じ出来事でも、立場や受け止め方によって異なる見方があることは理解しています。

私の記憶や認識に誤りがあることが客観的に確認された場合には、その点を受け止め、必要な訂正を行います。

相手方を攻撃するために書くのではない。
同時に、自分に都合のよい部分だけを残すこともしない。

私自身が反省すべきことと、実際に行ってきたことの両方から目をそらさずに記す。

それが、この記事において私が守るべき責任だと考えています。

今回の経験を、これからの指導へ返す

私は、完成した指導者として教えてきたわけではありません。

この5年間、参加してくださった方々の質問、つまずき、成果、反応、率直な意見から学びながら、指導内容と関わり方を少しずつ見直してきました。

今回の経験についても、ただの対立として終わらせるつもりはありません。

私の側から提供できることには、誠実に取り組む。
質問を受けたときには、分かる範囲で曖昧にせず答える。
必要な指摘は、耳触りのよい言葉だけで済ませずに伝える。
ただし、その言葉が相手へ届く形になっていたかを振り返る。
指導の目的、関わり方、連絡の頻度、受講関係を終了する条件についても、これまで以上に明確に共有する。
相手の人生や判断まで、私が代わりに背負おうとはしない。
相手を私やコミュニティへ依存させるのではなく、最終的には自分の基準で判断できる状態を目指す。

今回の経験を受け止め、改めるべきところを改める。

そのうえで、自分が信じている指導を続ける。

問題が起きたとき、誰か一人を悪者にして終えるのではなく、確認できる事実を見る。

自分が引き受けるべきことを引き受け、変えられる条件を変える。

そして、また自分の仕事へ戻る。

それが、指導者としてだけではなく、一人の人間として、私が大切にしたい姿勢です。

この記事を掲載した後について

この記事の掲載後、どのような意見や発信がなされるかは、それぞれの方の判断によるものであり、私が制御できることではありません。

相手方がこの記事をどのように受け止めるかについても、相手方の自由です。

そのうえで私は今後、相手方や本件に関連する方々の発信を、自ら意図的に探したり、継続的に確認したりすることはいたしません。

仮にこの記事を受けて批判的な言及が行われても、その都度確認し、公開の場で反応することもしません。

これは、今後述べられる内容を、すべて事実として認めるという意味ではありません。

これ以上、自分の時間や心身を、公開上の応酬や、相手方の発信を確認し続けることに費やさないと決めたということです。

本記事を掲載する投稿については、返信欄を制限します。

異なる意見を封じるためではありません。

事情を把握していない方も目にする公開の場で、断片的な情報を前提とした応酬が重なり、新たな誤解や対立として残ることを望んでいないためです。

本記事をもって、私からの公開上の説明には一区切りをつけます。

今後は、家族との生活、現在学んでくださっている方々、そしてこれからの指導と運営に、自分の時間と意識を戻します。

個別指導に、すべての人へ通用する唯一の正解があるとは、今も考えていません。

だからこそ、指導者は自分の正しさを押しつけるのではなく、相手の状態や結果を見ながら、伝え方や関わり方を更新し続ける必要があります。

同時に、学ぶ側の判断や行動まで奪ってはいけません。

自分の責任は引き受ける。
相手の責任は奪わない。

必要な修正を続けながら、その人が最後には自分の基準で判断できる状態を目指す。

今回の経験を経た今も、私が指導で目指したいのは、その形です。

自分で好きで選んだことだと思えるからこそ、この先の人生で何があっても、自分の選択から目をそらさず、向き合っていける。

今後も、自分の至らなかった点から目をそらさず、自分が信じる道を、自分の言葉と行動に責任を持ちながら進んでいきます。

56スパルタンFX
高橋吾郎

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